1.はじめに
我々の界隈に衝撃を走らせた火植昭。彼の詩『Sensitive Rain』は、発表2日後にして大江健一郎氏により考察され、人々の期待を集めている。私は、先行研究「火植昭『Sensitive Rain』論 ー心情の変化に注目してー」を用いつつ、更なる探究を進めようと思う。
なお、本論文風記事は、エンターテインメントの一環であることを断っておく。論理飛躍多め。
目次
2.先行研究受容
大江健一郎(2021)によると、
Sensitive Rainは,恋の始まりから終わりまでを美しい言葉で隠喩的に表現し,読み手に圧倒的な感動を与える傑作であるといえる。
とある。火植への取材を通しても、恋の始まりから終わりを描いた詩であることは否定の余地がない。加えて、作者自身の実体験に基づく私小説的性格を持った詩と言えるであろう。
しかし私は、この点に疑問を覚えた。我々は火植に惑わされているのではないか、と。なぜならこの詩は恋の歌ではないとみることも出来るからだ。
3.恋と愛と『Sensitive Rain』
恋と愛。それは時として同一視される。だが、両者は厳密には、別物だ。
恋とは、デジタル大辞泉には、
1 特定の人に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。「
恋 に落ちる」「恋 に破れる」
2 土地・植物・季節などに思いを寄せること。
とある。
一方、愛とは、デジタル大辞泉に、
1 親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。「
愛 を注ぐ」
2 (性愛の対象として)特定の人をいとしいと思う心。互いに相手を慕う情。恋。「愛 が芽生える」
3 ある物事を好み、大切に思う気持ち。「芸術に対する愛 」
4 個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。「人類への愛 」
5 キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと。→アガペー
6 仏教で、主として貪愛のこと。自我の欲望に根ざし解脱を妨げるもの。
とある。
加えて、ニッポニカによると、
ギリシア語では愛は、エロスerōsとアガペーagapēとピリアphiliaという三つの語によって示される。これらは、愛にとって本質的な三つの位相をそれぞれ指示しているように思われる。
とある。先行研究からも、『Sensitive Rain』が描こうとした愛をエロスとして間違いなかろう。だが、エロスについてニッポニカは以下のように述べている。
これらは、愛にとって本質的な三つの位相をそれぞれ指示しているように思われる。エロスは情愛に根ざす情熱的な愛で、哲学者プラトンの『パイドロス』でいわれるように、しばしば狂気の姿をみせ、究極的には一者と合一し、真実在に溶け込むことを求めている。地上において肉体的生存を続けている限り、神的なものとの一体化を実現することはできないから、忘我恍惚(こうこつ)を求め続けていけば、エロスは必然的に死と結び付く。エロスの哲学者プラトンが生涯、真実在との出会いを求め続けたあげく、「生より死が望ましい」という一見奇怪な結論に達したのは、その意味では当然の成り行きであった。
つまり、プラトンによると、エロスとは、究極的に一人の人間と合一し、一体化したまま実在として存在する事なのだ。
ここで、『Sensitive Rain』本文を見てみよう。
山肌とともに生まれる木漏れ日で君の目をかくそうこれが愛
愛とは、山肌とともに生まれる木漏れ日で相手の目をかくすこと、と形容されている。木漏れ日で相手の目を盲目にさせ、
視線が注がれる透明な鏡 君が怯える必要はない
自身への全幅の信頼を促す。
彼が表現したものは、不器用な人間のプラトニックな愛の姿と言えよう。
4.おわりに――されど、運命的
大江(2021)は、以下のように述べている。
全体を通して見ると,二つ目と三つ目の間が2行空いているということに気づく。ここの部分だけ後から付け足したと考えると,本当はこんな結末になるはずじゃなかったという悔しさや悲しみを表していると考えられる。こんなSensitive Rainが持つ深さが現れている。
だが、この結末は逆説的に不可避であった。詩『Sensitive Rain』が『Sensitive Rain』として存在するには、彼の経験が無くてはならない。彼が、詩人として、芸術の高尚なる存在に認められた事と引き換えに失ったもの、それが、純粋な情愛としての愛であったのだろう。
参考文献
・火植昭『Sensitive Rain』,「よしなしごと」,文芸部,2021年9月
・大江健一郎「火植昭『Sensitive Rain』論 ー心情の変化に注目してー」,2021年9月
(最終閲覧日:2021年9月6日)
・恋とは - コトバンク (kotobank.jp) (最終閲覧日:2021年9月6日)
・愛とは - コトバンク (kotobank.jp) (最終閲覧日:2021年9月6日)
追記
*火植昭氏へ
大江健一郎に引き続き、悪気は無きにしも有りにて、申し訳ございませんでした。
次回作を心待ちにしております。