我々の魂の中にある文藝を放棄してはならぬ

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【鬱供養回】濁って濁って、そのうちに、だんだん澱粉が下に沈み、少しずつ上澄が出来て、やっと疲れて眼がさめる。 by女生徒

ごきげんやう、女生徒です。
♪ぴーんぽーんぱーんぽーん。
「今回はここ2か月の憂鬱を思いきってブログに書いてしまって吹っ切ろう、という自己満足記事です。最後はポジティブになっていますが影響を受けそうな方は閲覧をお控えください」

 

タイトルは太宰治『女生徒』4文目です。何というか、とても共感できる文で、流石は太宰。太宰を舐めちゃいけませんね。

さて、前回ブログを書いたのが3月4日。
ああこの頃は良かったですね、前期合格発表前で。束の間の幸せな日々でした。
ははっ。

 

2時間近く電車に揺られ、降り立つと急な坂道が待っている。
高校生時代、一度も行きたいと思ったことがなかった大学を目指して歩むその足取りの何と重いこと。
いくら授業が面白くても日々の疲れとストレスの蓄積でつい、うとうとしてしまう。
身の入らない日常。

何のために自分がここにいるのか分からない。

 

そんな時、とある記述を見つけた。
少し長いが引用する。

 

神戸大学から見下ろす景色は、どことなくギリシアの首都アテネを想わせる。アテネ中心部にはアクロポリスの丘が聳え、名高いパルテノン神殿が鎮座する。隣にはプニュクスの丘。ここでは古代民主政の根幹を担う市民集会が開かれていた。無論、神戸とアテネでは木々や山肌、建物の佇まいなど違いも少なくないのだが、山(丘)を背にして遠方に目を向けると、いずれも眼下には賑やかな街並みが広がり、港が見え、さらに向こうには穏やかな海が陽光に煌めいている。」(佐藤昇「港町アテネ古代ギリシアの国際社会」神戸大学人文学研究科・編『人文学を解き放つ』より)

衝撃を受けた。京都に比べたら遺構の少ないただお洒落なだけの街だと思っていた世界が、アテネアクロポリスから臨むエーゲ海に面した港町に変わったのだ。

無論、気候も植生も違う。
しかし、古代より国際港であり、山々と瀬戸内海に囲まれた異国情緒豊かな街、神戸。
アテネに通ずるものを感じる。

それから私は何度この記述を思い出してあの坂を登る自分を鼓舞したことか。

 

毎日駅のホームで「京都河原町行き」というアナウンスを聞き、「京都!!我が故郷!!」と感激することが楽しみな私だったが、

「御影・六甲方面へは岡本で各駅停車に」が、
「ゼウス神殿・アクロポリス方面へは」と聞こえるようになった。

キャンパスがアクロポリスに。
竹谷山がプニュクスの丘に。

 

眩しい陽射しがフォイボス・アポロンの輝かしい神慮に。

 

くだらない話だと思うかもしれないが、このくらいの意識の変化で心の持ちようというのは変わる。
それと、最も重要なことは、神戸をアテネに見立てる教授が居るということだ。
歓喜である。邂逅である。

私は古代ギリシアと邂逅するためにここへ来たのだ。

 

濁って濁って、そのうちに絶望は沈澱し、やがて上澄みとなった少しの希望が目を覚まさせるのである。

意義を持てば容易い。あとはただ登るだけなのだから。

 

ΘΕΟΙ ΑΓΑΘΗ ΤΥΧΗ(神々、神慮めでたく)

 

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